11月17日 申命記4:35~40

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「申命記」

 

「申命記」をヘブル語では「これらは言葉である」という名前で呼ばれ、ギリシャ語では「第二の律法」と訳され、日本語では「重ねて命令する。」の意味で「申命記」と名付けられたそうです。この書はモーセが死ぬ間際のモノで、イスラエルの民への遺言書、お別れの言葉にあたり、モーセ最後の説教と言われます。エジプトを出た時には20歳以上の世代は荒野40年間で死に絶え、現在はヨシュアとカレブ以外は全て新しい世代に変わりました。四十年前に19歳以下の者が居るわけですので、第二世代イスラエルの民はこの2人以外は59歳以下であり、人口の60%前後は、荒野で生まれ、荒野育ちの計算となります。その新しい世代のイスラエル人らは、これからヨルダン川を渡り、約束の地に入っていかなければならないのですが、モーセは前回お話した様に「岩を二回叩き」主を信じなかった為に約束の地には主によって「立ち入り禁止」が決定されています。その為にモーセは、イスラエルの新しい世代に対し、神様と結んだ契約と律法はこの様な事ですよ、神がこれまでこんなに素晴らしい事をされました。と言った事を教え、また復習させ、正しい生き方を伝えているのです。それはエジプトを出て四十年目の11月でした。モーセはそれから約1ヶ月の間で、この書の内容を語り終えると、ピスガの頂きで死を迎える事になるのです。人が人生を終える時の言葉の内容、それはモーセにとって最も重要な事を子孫に伝える為に書かれています。

 

ポイント1「全ては、神を知る為」

この時代の人々は、神の声を聞いたモノや、神の姿を見たモノは死ぬとユダヤ教で考えられていました。何故なら、人間には罪があり、人が神に出会い、その声を直接に聞き、姿を見るのであれば、神の清さの故に、人は滅びてしまのです。しかし、人が主なる神に近づくことができなければ天国に入ることはできないのであります。そうすると、罪を持っている者は全て天国に入る事ができなくなってします。その為に、イエス・キリストが地上に来られました。御子イエス・キリストを知る事により、人は父なる神を知る事ができるからであります。

 

ポイント2「訓練する為」

荒野はとっても厳しい場所で、人間が生きる場としてはとても過酷な場所であります。その様な場所に、主がイスラエルの民を導き四十年間もの苦難の時代を与えたのでありますが、それらの意味は「神の御言葉にイスラエルの民が生きる為の訓練であった」と告げています。