第5戒「父と母を敬え」
今回は、敬老の日という事で、聖書がどの様に言っているのか?という事を見ていきます。この箇所は、十戒の中で見れば第五戒ですので、それは神に関する戒めの中に入ると聖書神学者は言っていました。私たちは現在、モーセが主から頂いた、石板を見る事は叶いませんが、順番通りに書かれていたのなら、一枚目は神に関する戒め、2枚目は人に関する戒めと捉えられるそうです。また、十戒の中心にあるという事もあり、人と神双方の戒めと言われます。両親は子供に対する神の権威を代表であり、選びの民にとっての宗教教育は両親に課せられた重大な責任であります。子供が両親に服従する事は、神への服従に結びつくのであります。私たちは、隣人や友人からは逃げる事、それは簡単な事でありましょう。しかし、「父と母と私」の関係は、生まれた時から死ぬまで、いや死んだ後でも、彼らとの関係から逃げる事はできない事、それも事実であります。しかし、その中で「父親、母親」に対し、彼らが若くても、また年を取った後でも、正しく「敬う」という事について、我々クリスチャンは信仰により真剣に取り組む事を、神はこの十戒の御言葉を通して語っておられるのでありましょう。
ポイント1「敬え」
「敬え」という言葉がありますが、それは「カーベード」、「重い、重んじる」と訳される言葉であり、それは栄光、名誉という言葉とつながるそうです。ユダヤ教では、父親に神の姿を見、「神の様にして敬う事を求めた」と言われます。だから、この「敬う」という言葉、栄光を帰というといった言葉が使われているのでありましょう。しかも、父親だけではなく母親、それは両親という神が造られた家庭の基盤を、子供が尊重し、重んじ、敬うという事であり、それは家族の中での子供の在り方であり、この戒めは私たち、救われた一人一人がしっかりとした家族関係を、子供の立場から支える事についても、この戒めは語っています。我々の家族を、「主を敬う」その心で敬う者でありましょう。
ポイント2「主が備わる地で長く生きる為」
これまで「父と母を愛せよ」という事について語ってきましたが、この命令は、特に私の様なノンクリスチャンの家族に生まれた者にとって、特に難しい戒めであるという事は事実でありましょう。ただ、現在世界を見る時、親子関係が崩壊している家庭が多くあり、この様にして「父と母を敬え」と言えば、反感を買い、また問題発言となる場合もあるかもしれません。ただ、聖書が語る「父と母を敬え」という対象は、若くなくなり仕事ができなくなった「老人の父と母を敬え」というのが、この律法が語っている事の中心であるそうです。それは、あまりにも「近い隣人」であるからなのかもしれません。お隣さんの事は、私たちは隣人として愛する事が出来るのかもしれません。しかし、両親となると、愛するという事がいきなり難しいものとなってしまいます。ただ聖書では、「神を愛し、隣人を自分の様に愛する」事、それが全ての戒めを全うすると聖書は語っている内容であります。
私たち主に従う者は、この最も重要な愛の戒めをこの地上で全うし、家族そろってやがて来る天の御国で永遠に生きる者として、共に学びキリストの信仰に生きる者でありましょう。