9月8日 出エジプト記32:31~35

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「金の子牛」

 

前回までは出エジプト20章の10戒についての説教をしてきました。その十戒の律法は神の民と変えられたイスラエルが、神の国の住人として与えられた法律でした。それらを、「全て行ないます」とイスラエルの民は応答し、その時に血による契約が神とイスラエルの間に結ばれました。その後、主はモーセをホレブ山に登る様にと告げ、そこで40日が過ぎた時、イスラエルの民はモーセが死んでしまったのではないか?と騒ぎだし、民は留守を守るアロンに対して「金の子牛」を作り、イスラエルの神とする様に求め、彼らの持っている金銀の宝飾品によって金の子牛の神々が作られてしまいました。もちろん、この出来事は、十戒の1、2戒の違反であり、それは死罪にあたるものでした。ただ、その時にモーセのとりなしの祈りにより、全ての民が滅びる事はありませんでしたが、その時に作られた石の板は壊され、そして3千人は死罪となり、またその罪は終わりの時に罰が与えられる。その様に主は語ったのです。

 

ポイント1「神の書」

この時に出エジプト32章25節には「アロンは彼らがほしいままにふるまうに任せ、敵の中に物笑いとなったからである。」この様に、敵の物笑いとなった事が重大な罪だと言われています。この敵とはもちろん、神の民に対抗する存在であり、サタンに組みする存在でありましょう。その存在は民の救いを妨害するものであります。その敵の目的は、救われ「神の書、命の書」に書かれた名前を、その書に名前が書かれる事を妨害し、またそこに書かれている名前を消し去る事が彼らの目的でありました。私たちは、イエスの救いから離れ滅びる者ではなく、御言葉を固く握り、信仰に生きましょう。

 

ポイント2「刑罰の日」

この時、3千人が死んだだけで、その時に罪を犯したアロンを含めた多くは生き延びました。なぜならモーセの「とりなしの祈り」があったからです。主はキリストの前で正しく生きる私たちの祈りに耳を傾けられ、私たち同様に、私たちの愛する家族、そして隣人、友達を悪から救う力があると聖書は告げているのであります。しかし、本当の「さばきの日」が訪れる時には、全ての罪が裁かれる事になり、その裁きは全ての人に行われるという事であります。この「裁きの日」とは、イエス・キリストの再臨の日であり、その裁きの座に、ある者は滅びる者として恐るべき神の御前に立つ事になり、またある者は「キリストと同じ様な者として」この裁きの座に大胆に歩み出て、救いの完成を喜ぶモノとなるのです。もし、私たちが裁きの日に救われる為には、キリストの愛に生き、その愛によって完全ならなければならない。その様に聖書は告げます。私たちはイエス・キリストが歩まれた完全なる愛の道、そう十字架の愛の道に従いあゆみ、直ぐに来る「裁きの日」に至るその日まで、その神の愛の歩みにより、大胆に神の御前に進み出るモノでありましょう。