8月11日 出エジプト記20:1~7

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「十戒1」

 

出エジプト20:1~7

この戒めは救いを受けた、信仰者の生き方であり、神に救われたモノは、神の声に聞き従うであろうし、神の契約の言葉を守り歩むモノであり、その者は「神の宝」と主ご自身は告げているのです。

 

出エジプト20:1~2

「序文」

十戒はイスラエルに対する神の直接的な呼びかけであり、「奴隷の地エジプトから救い出した神である」という事が重要です。これは十戒の最初の言葉であり、最も重要な基礎的な部分にあたります。十戒は神に救われ、神の民に対する律法であります。序文では、この言葉を語る神こそ、エジプトの奴隷状態から解放した主である事を告げています。

 

出エジプト20:3

「1戒」

第一戒は、一番重要な事を私たちに伝えている事でありましょう。

我々人間は、様々ものを神とします。

神を中心に定めない、その様な人は、自分を中心として生きているのであり、自分が神となり全てを、自己中心的に解決したい、それが我々の思いなのであり、それは、アダムとエバの時代から、現在に続いてきているのであります。この一番重要な第一戒に立ち返るには、イエス・キリストを信じ、罪を悔い改める以外に方法はないのであります。私たちは今日、自分を神とする、その罪を悔い改め、イエスを信じ、神を中心の信仰に歩もうではありませんか!

 

出エジプト20:4

「2戒」 あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水のなかにあるものの、どんな形をも造ってはならない。第2戒は1戒に付随とも考えられるモノで、偶像礼拝に対する禁止の戒めであります。主は今も生きている神であり、全てを創造し、全てよりも偉大で、最初からおられ、永遠に存在される方であります。人でさえ神により創造されたのに、人が神を造る事はできないのであります。像の様な何もしないものを礼拝する為に、我々人が造られたのではないのです。私たち神の民は、その選びに従い、唯一の神、始めにおられ、今も、そして永遠に生きて働かれる、父、子、御霊の神だけを信じ、私たちは人生を通して、この三位一体の神を礼拝する信仰に生きようではありませんか。

 

出20:7

「3戒」

この第3の戒めの為、イスラエルの民は主の御名の正しい発音を忘れてしまったそうです。古代では「その名をつかむ者は、その名を持つ者の力をもつかむ」という考えらました。神の名は宗教的に重要で、呪文や魔術、占いといった時に使われていきました。それは、人間の都合の為に神の名を用いたのであります。人間の自己中心的な願望、人の御都合主義のために神の名を使う事の禁止なのです。神の名を悪用する事、御名を傷つける事、そして神の目的を傷つける事を第3戒では禁止しているのであります。ただ、イエス・キリストが十字架で栄光を受けられた事により、私たちは、主イエス・キリスト、その神の御名で祈る事のできる特権を与えられました。私たちはこの御名で祈り求め、また述べ伝えましょう。