7月28日 出エジプト記16:4~5

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今日の御言葉

【口語訳】

「天からのパン、マナ」出16:4-5

「マナ」という食べ物もあります。

 

出16:31

「コエンドロの種の様で、白く、その味は蜜を入れた薄焼きパンの様」「マナ」は、その意味は「これは何だろう」です。要は彼らも分からない未知の食べ物だったのでしょう。

それは白く、鱗状で、味は蜜を入れたせんべいの様、と言われても想像すらできません。

「これは【主】があなたがたに食物として与えてくださったパン」であり、天の賜物であります。「マナ」は毎朝現れ、一人、2.3Lまで集める事ができます。

しかし、夜には腐ったり、虫がわく為、その日食べる分だけしか集めれません。(消費期限は1日です)しかし、安息日の前日金曜日には2倍量である、4.6Lを収穫でき、二日分の食糧にしたのです。何故、6日間集める事ができて、7日目にマナが降らないのかというと、7日目が「安息日」の為であり、仕事は一切ヤメ、家族で食事をした後、父親は礼拝に行くと言ったモノで、この日は主に捧げ、家族で過ごす日であります。この時、主は、この安息日を守る命令を持って、イスラエルの民が、主の御言葉を忠実に守るのか、それとも守らないのか?という事を、神はイスラエルの民に対して試した。これが天の賜物であるマナの出来事の本質であります。

 

1.民のつぶやき

この時、イスラエル民族はエジプトの地で奴隷であった所から紅海を抜け、偉大な神の御業により解放されました。救われた人々は主を褒め称えたわけですが、しかし、荒野の苦難に遭遇した時、彼らは「つぶやく」ものとなってしまい、その「つぶやき」を主は罪と言っています。「つぶやく」というのは、「独り言を言う」という意味であります。「不平不満」を言うという事です。しかし、マタイ6:31では。何を食べようか、何を飲もうか、何を着用かと思いわずらうな。と言います。神を信じ従って生きる人に、神は必ず必要なものを与えてくださると聖書は語っているのです。自分の明日の事ばかりを思い患う事は止め、神中心に生きるものでありましょう。

 

2.神の試み

それは、人々が神の教えに従って歩むのか?それとも歩まないのか?それを神が見極める為に「試みている」その様に聖書は告げています。主なる神は、このマナを持って我々が、「人はパンだけに生きるものではなく、神の御言葉に生きる事をあなたがたが知る為であった。と聖書の他の箇所で伝えます。では、聖書の御言葉は、信仰に生きなさい、希望を持って生きなさい、しかし、何よりも愛を持って生きる、それが一番重要だと語っています。

私たちは、どの様な苦難、試みにあったとしても、滅びる者として自己中心的に生きるのではなく、神の事を第一として、信仰、希望、愛という、神の御言葉に生きようではありませんか。