7月21日 出エジプト記14:13〜18

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「紅海を渡る」

 

過越の災いの夜、イスラエル人はヤコブの11番目の息子ヨセフの遺骨を担いぎ、エジプトを出発するのですが、その時のイスラエル人口は20歳以上の男子だけで60万人以上にもなり、全部合わせると200万人とも、300万人ともなり、彼らは奴隷から解放されて主の示す山(ホレブ山、シナイ山)と向かうのであります。主ご自身も、昼も夜も伴い、まるで羊飼いの羊の様にイスラエルの民を導いて行くのでありました。

イスラエル人たちは、エジプトの北東の地から、紅海へと歩を進めるのですが、神は近道ではなく、遠回りをさせた時、エジプトの王の心を主はまた頑なにしました。その為、エジプトの王は全軍を率いて、奴隷から解放されたばかりイスラエルに押し迫り、イスラエル人は非常に恐れて、【主】に向かって叫びました。すると、主はモーセの手(杖を持つ)を海の上に置く様にと語り、そうすると、紅海は2つに分かれる事になります。また、イスラエルを先導してきた雲の柱、若しくは火の柱は、イスラエルとエジプトの間に入り、エジプト軍をかき乱し、エジプト軍はその時にやっと主が戦われている事を知り撤退するのですが、その時は既に手遅れでした。モーセがもう一度紅海の上に手を差し伸べると、海は元通りに戻り、エジプト軍は全滅してしまう。そうしてイスラエルは完全に解放されたのです。

 

ポイント1「民の為に戦われる主」

この話しで一番重要な事、それは主ご自身が民の為に戦われるという所です。私たちは、何時も自分の力で戦い勝ち取る事が正義だと考えます。しかし、主は黙って見ていなさい。主ご自身が栄光を示すと告げます。どの様な危機的な状況下であっても、主は必ず信仰者の為に戦い、そして勝利を収める方が、我々と共におられるのです。

 

ポイント2「主を知ったエジプト」

この時にイスラエルの民は、完全なる救いを得たのですが、主の滅びの「しるし」に従ったエジプトは、その「しるし」の通りに滅びることになりました。この所で聖書が伝える主の御心は「救い」にしても、「滅びる」にしても「主を知る」という事である。エジプトと王パロは、自分たちが滅びる時になり初めて主を知ったのでありますが、それは遅すぎました。良いモノであっても、悪いモノであっても、救われるモノでも、滅びるモノでも、全てのモノが最後には主を知る時が来らなければならず、またその時は近いという事も確かであります。神は救いと滅びの双方により栄光を現し、神の国と神の義を、全世界で現されたのでした。

私たちは、現代がどの様な状況になったとしても「恐れず、信仰に立ち続け、終わりの日が来るその時まで、イエス・キリストを信じる信仰に立ち続け、喩え荒野の道を歩んだとしても、主の平安の中に歩んでいこうではありませんか。