本日は香久山公園にて野外礼拝を執り行いました。
「心の貧しい者は幸い」
山上の説教は、人間の幸福、幸いについて語っています。この御言葉では「命、もしくは魂が飢え乾き、富でなく、権力でもなく、力でもなく、主なる神だけを慕い求める。」その様な人は、一般的社会から見れば「ちっとおかしな人、世間から見れば世を捨てた貧乏人」と見えても、世のものを捨て去り、主だけを飢え乾き求める、その貧しい信仰者こそ、幸いであると告げています。霊を求めるとは、神の力に期待する心であります。しかし、現在の日本社会では、神により頼まず、人は自分達の知恵に従う事が普通と考えています。その考えはアダムとエバが罪を犯した時から、人はそうして自分の知恵に頼ってきたのでありましょう。しかし、この様に神が共にいない知恵、それは罪と呼ばれ、それは滅び、死へと行き着く道であり、そこに「幸い」はないのであります。本当の「幸い」は神に出会い、神の似姿としての本当の自分を見出す、その時に本当の「幸い」を私たちは見出す事でありましょう。私たちは今日、この日に主イエス・キリストのこの言葉を聞き、キリストを信じ、神と共に生きる、その真の「幸い」を見出し、生きようではありませんか。