「私は一体何者?」
この時モーセはシナイ半島の西側のホレブ山にやってきました。ホレブ山は、後に十戒を受ける事になるシナイ山であります。「火が燃えている状態」それだけで神聖なのであり、「燃え尽きない芝」はモーセの心引きつけたのだと想像します。その時、主は炎の中から「モーセ、モーセ」を名を2度も呼びかけるのでありますが、ヘブル語で、2度呼ぶとは強調しているという意味もあると言われます。モーセが神聖な場所に対して知らずに土足で踏み込もうとしていたので、神は彼に注告したのです。主はその時、「わたしの民」の悩みを見、奴隷とされるイスラエルの民の叫びを聞き、その痛みを知ったので、主は天から降ってきて、民をエジプトの奴隷状態から救い出し、乳と蜜の流れる約束の地へと上らせると語ったのでありました。この日は主が、奴隷解放宣言をされた日と言えます。しかし、その時モーセは既に、80歳の老人でした。このモーセをエジプトの王に遣わし、イスラエル人をエジプトから連れ出せというのです。「普通そんな事できるはずがない」誰でも考えると思います。しかし、その「しるし」は、主ご自身が「わたしはあなたと共にいる」という事であります。このモーセにより、イスラエル民族を奴隷から解放させ、もう一度このホレブ山へと導き、神に仕えるものとさせ、そうして、彼らを約束の地へと導く、これがモーセの使命なのです。
ポイント1「私はいったい何者?」
この言葉は、モーセは自分自身のアイデンティティを神に対して訴えかけているのです。人のアイデンティティとは、創世記1:27「神は自分のかたちに人を創造された」とあり、本来人は神に似たものとして、聖なる存在、愛に生きる存在として創造され、これが人のアイデンティティでありました。しかし、その人は罪を犯してしまい、その神の思いから離れてしまっています。そうして、神と離れてしまった私たちは、人とも争い、全てのものは呪われてしまった。そう聖書は告げています。我々が本当のアイデンティティを取り戻す為には、イエス・キリストを信じ、もう一度作り変えられなければならないのであります。そうして、私たちは本当の神の似姿を取り戻そうではありませんか。
ポイント2「遣わす神」
この時、モーセが召された理由は、イスラエルの民をエジプトから導き、ホレブ山で、神に仕える為であり、その後約束の地に導く為であります。しかし、その様な大変な事を、モーセは「無理です」と断っている訳です。神はいつもこの様に、弱いものを遣わすのであります。また、現代であっても、弱い我々を遣わし、暗闇に喘ぐ人々に光をもたらすのであります。今日は私たちは、神の思いに立ち返り、「あなたと共にいる」と言われる、この神の御言葉を握り、暗闇の中で苦しむ人々へと、この救いを伝えるものとなろうではありませんか。